今日は『ラムスプリンガの情景』のネタバレ感想書き〼
結構しんみりと重たいテーマを扱った近年まれに見る名作だと思う。
物語の背景『アーミッシュ』
『ラムスプリンガの情景』には「アーミッシュ」と呼ばれるドイツ系移民の生活が描写される。彼等は、
その暮らしも300年前のままで、まるで西部劇にでも放り込まれたような感覚になる。本は聖書、歌は賛美歌だけ、こどもが持っている人形には顔はない。偶像崇拝を禁じているためという。なので教会も持たず持ち回りで各家に集い皆で祈る。手作業で出来ることはできるだけ手作業で、ガスや電気は全く使わない…というわけではないが必要最低限の生活。避雷針は立てず訴訟を起こすこともない。予定説を重んじているからだ争いとは対極にあり、皆当然のように穏やかで健全…
作中でそう語られるアーミッシュ。現在もアメリカ・ペンシルベニア州などで多く暮らしているという。初めて知ったが、まあ大体のところ映画の『ウィレッジ』のような暮らしだろうと想像した。『ウィレッジ』は全く外に出られないのでもっと厳しいが生活の様式はよく似ている。
そして、アーミッシュの村に属しているテオドール・サリヴァンという男が「ラムスプリンガ」の時期を迎え、街に出てくるところから物語は始まる。
ラムスプリンガ
「ラムスプリンガ」というのはアーミッシュの風習の一つで、16歳を迎えると村を出てそれまでは禁止されていた飲酒や煙草といった俗世の体験を自由に謳歌出来るというものだ。そうして認められた期間だけ街で過ごすと、それから死ぬまで「アーミッシュ」としての生活を全うすることになる。
出会い
テオドール・サリヴァンこと、「テオ」は16歳をとっくに過ぎて成年してからやっとのことで勇気を出して「ラムスプリンガ」に臨むことにした。
街に出て酒を飲んでみようとバーに入ったはいいものの、初めてでどう注文して良いものか壁を見つめて固まっていた所に声をかけたのが、もう一人の主人公オズワルド・カーターだ。
彼は、NY出身でトップダンサーになることを夢見ていたが挫折しこの街でウェイターをして暮らしていた。
めったに街に出てくることのないアーミッシュは街の人間にとって蔑みの対象であった。マスターに言われてテオを追い出すよう言われたオズだったが、ひょんなことからオズはテオのことを“夜の客”だと勘違いし店の二階にある自室へ連れ込んでしまう。
さっさと脱がせてやってしまおうと意気込んでいると、なにか話が噛み合わない。
「怖気づいたのかよ」
と無理やりブチュッとキスする瞬間
「お酒飲んでみようと思ってこの店入っただけで…」とテオ。
おかしな行き違いに、テオは赤面しオズは青ざめた。
嫌な予感を抱えながら読んだ
ここまでで、最初数ページのあらすじである。
さて、このテオだがもうこの時点でどう考えてもこの先起こることが見えてしまう。見えてしまうけれどきっとそうではないそうではないんだと思いながら読み進めたがやっぱりそこに行き着いてしまった。
刷り込み
テオは、オズからは「犬」アーミッシュの村の人間からは「天使」兄役からは「バカ」と言われている。
読者的には、本当にこの3つをミックスさせた素直で優しくて可愛い子という印象になる。
世間を知らない「バカ」で「犬」のように従順で屈託なく笑うその姿は「天使」。
そんなまっさらな状態で俗世に出てきて恋をした、となったらもう刷り込み以外の何物でも無いんじゃないか!?と言いたくなってしまう。
序盤幸せそうに手を取り合い微笑み合うふたりの描かれ方が残酷に見えた。
素晴らしい呪いの正体
作中、アーミッシュの村で暮らす女性がこう話す。
私は16歳のときだったわね。特別にマンハッタンの美術学校に通ったの。外は魅力的なものに満ちあふれていた。きっと私にも何かの才能や可能性があってなんでも出来るし何にでもなれるって思えたわ。でも一度ここに帰って来た時ダニエルに告白されたの。とっても嬉しかった。(…)彼に結婚しようと言われたとき…こう思ったわ。
「ああ私やっぱりこのまま彼と結婚してお母さんになっておばあちゃんになってこの村で幸せに暮らすのね。死ぬまでずっと。」
その時私は自分にも在ると知ったチャンスをためらうこと無く捨てることが出来た。それでねわかったの、
どうして人が、恋をするのか…恋を愛でるのか…ねえテオドール恋って素晴らしいの…素晴らしい…素晴らしい呪いなのよ
これ、「恋をしなければアーミッシュを出て夢をかなえることが出来た」と言ってしまっているよね…?こわい…
彼女にとって、ダニエルに結婚を申し込まれたこと彼に恋をしたことは幸せなことであるというのはきちんと描かれていたように思う。ただ、結婚してお母さんになっておばあちゃんになって…という部分については彼女が望んでいるようには思えなかった。しかし、彼に恋をしたことは彼女をそこに縛り付けてしまう。
もちろん彼女はそれで幸せを感じながらアーミッシュの村で死ぬまで暮らすのだろうけども、ふとした瞬間によぎる「あの時夢を追っていたら」という感情は消えないのではないだろうか。
どんな人にも、どんな人生にも、いろいろな事情な苦難がつきもので、それはまったくアーミッシュに限ったことではないのだとこの場面で感じた。
オズの苦悩
今回特別なように描かれているアーミッシュだが、結局のところ大都会NYで生まれたオズも同じような苦悩を背負っている。
「父親」はオズに叶えられなかった夢を託したままベトナムで戦死した。託された夢を叶えようと正当ではない道を選ぶこともあるほど野心に燃え尽き進んだが、結局その夢から逃げてしまった。しかし、逃げた後も苦しめられる。逃げたからと言って、父親の幻影が消えるわけではないからだ。帰らぬ人を待ちながら苦しむオズをテオは救う。
二時間映画をじっくり見た気分になれる
見開きページに、
潰れかけのミニシアターで2週間ほど上映されていた特に誰も観ていない映画、みたいな雰囲気を目指して書いていた気がします。
と作者コメントがあった。まさに!!!素晴らしい読み物だった、時間を忘れて読んでいたら日曜日が終わっていた。こんにちわ月曜日…しかしとても満足したので幸せ。
余韻を残した終末
ニジマスは海を泳ぐ、ただ、大海へ出たニジマスの行方を淡水で暮らすニシンは知ることがない。すべてがハッピーエンドなんて無い、儚い終わり方だった。
今後の彼等は、どう生きていくのか。少し不安が残るが、カバー下で笑い合う二人を見て大丈夫だなと安堵した。